ORIGINAL TOP
「それは愛であり恋であり好意である。/Wouldn't It Be Good」
べそべそ、とか、そんな涙声で目が覚めた。
横を向いて寝てた俺の目線の先は白いカーテン。頭の下は薄い枕で、身体の下は堅くて狭いベッド。
カーテンに仕切られた狭い空間は「病室」という言葉を彷彿させるが、それは当たらずとも遠からず。要するにここは放課後の保健室で、俺は休養コーナーのベッドの一つで睡眠をとっていたところだった。
ゲームで徹夜したおかげで、午後の授業全てを睡眠に費やした今もまだちょっと眠い。うっかり遭遇した中ボスにパーティ全滅させられてから延々レベル上げだ。おかげでその後中ボスは瞬殺出来たが、そこから午前中一杯の記憶(主に授業内容)がない。どうした顔色悪いな、と心配されて昼一で保健室に来たわけだが、ただの寝不足ですよ先生ごめんな。
テスト期間中でよかった、としみじみ思う。引退後も、元レギュラーでしょう指導して下さいよ先輩、なんておだてられしょっちゅう顔を出してしまう部活動。こんな時にバスケなんかしたら、軽く死ねる。
ふあ、と音もなく欠伸をする。
カーテン越しにうっすらさす明かりはオレンジに近い色で、そろそろ夕陽になりますよといったところか。
家帰って寝直そうかな、などとぼんやり考えていると。
「――どうしたのぅ、大丈夫?」
柔らかな、彼女の声が聞こえた。
続いて、大丈夫じゃないよー、という涙混じりの声。どっかで聞いた声のような気がするんだけど、鼻声になっているからかよくわからない。
「とにかく消毒するから、座って」
そう彼女が促すと、うん、と頷いて女生徒は従ったようだ。きい、と、クルクル回る背もたれのない椅子、あれはなんていう名称なんだろうな、とにかくそれに荷重をかける音がする。
消毒、ってことは怪我か。なにがあったんだろう。
「転んだー」
俺の思考に答えるかのタイミングで、女生徒が答える。
唐突に思い出した。隣のクラスの、名前は知らないがよく走り回っている元気な女。見かける三回に一回はシャベルを抱えていたり一輪車を押していたり、なんなんだろうなと疑問に思っていたら一緒にいたクラスメイトが「よくやるよな園芸部」と苦笑してた。
そう、園芸部。
今年の園芸部はひと味違うよ、とうちのクラスにいる部員が言葉とは裏腹にげんなりした表情で肩を竦めていた。なかなか部長が破天荒らしく、部員は概ね振り回されているらしい。予算会議時の武勇伝は運動部平部員だった俺にまで轟いている。お前も大変だな、と同情の念を見せると、まあいざとなったらあいつに全部押しつけるから、と苦笑していた。体のいい生け贄の羊が居るらしい。
くあ、と欠伸が出る。枕元に置いた携帯電話に手を伸ばして時間を確認すると、下校時刻まであと一時間といったところだった。
寝るか。
うつらうつらとしていたところ。頓狂な声に、邪魔された。
「先生の彼氏って年下なのー?」
いつのまにやら、先生と女生徒の会話はただの雑談いわゆる恋バナに変遷していたらしい。
小柄で童顔で巨乳、といかにも男子生徒に人気の出そうな保険医は、おっとりとした雰囲気と口調の割にさばさばしたものいいで、寧ろ女生徒の方に人気がある。
気軽になんでも相談できそう、って思われるのよねえ。
いつかそういって嬉しそうに笑って、けどその相談内容は決して漏らすことはなく。女生徒達は的確に相談相手を嗅ぎ分けているんだなあ、なんて感心した。
俺は偏頭痛持ちで、自意識過剰なお年頃の男共が「女の園で行き辛い」と敬遠する保健室の常連だ(それで級友には「勇者」と呼ばれたりする。おまえら意識しすぎ)。
よって彼女と接する機会が多く、いろいろ親しく話す方ではあるのだが。
「ってことは学生? どこの大学? あ、専門学校かな?」
女生徒の疑問に、先生はうふふと笑っている。
この声が、好きだ。鈴を転がす、というのではない。少し低音の声。なんつうかな、下半身に響く。
「ねえねえ、どこで知り合ったんですか? どんな人なの? 付き合うきっかけは?」
園芸部員は先生に質問責めだ。畳みかけるように言葉を発する。
園芸部員――多分、これがかの破天荒な部長当人なんだろうけど、いまいち確信が持てないので暫定的に部員としておく――は、いわゆる恋愛体質なグループには属さない、寧ろ距離を取っているタイプだったはずだ。
けど、全く興味がないわけではないのだろう。まして、自分からすれば大人の、恋話。興味津々なのに不思議はない。
けどタイミングを考えて欲しいと少し思う。まあ、人がここで寝ていることに気付いていないのだろうが。
先生は笑ってかわしているようだが、実は彼女もこういう話が嫌いではない。寧ろ好きだ。だから、そろそろ。
「そういう話、好きぃ?」
ちょっとだけ喜色の混ざった声に弾んだ返答。多分、首を気持ち右方向に傾けてたりするんだろう。その仕草が瞼裏に鮮明に映る。
あーあ、と。カーテンのこっち側で肩を竦めてみた。彼女たちからは見えていないからこそ出来るパフォーマンスだ。
「好きですようお年頃だもん」
案の定な女生徒に、だもんいうな、となんとなくつっこむ。
「そーう? そう? じゃあー、少し惚気ちゃっていいかなあ」
うふふ、と。目一杯照れたような、それでいてなにか奇妙な強制力のある先生の声。
――駄目っていえ、うるさくて寝れねえ。
けど、俺の願いは虚しく。
「わーい聞きたーい」
脳天気な合いの手。
彼女たちには聞こえないように、小さく、俺は溜息を吐いた。
「人体模型が、あったのねえ」
うっとりとした口調で、彼女は語り始めた。幾分唐突でなかなかそぐわない単語から。カーテン越しで見えない彼女は、きっと少し上気している。きらきらと瞳輝かせたりして、とても可愛くかなり危なく。
「人体模型?」
園芸部員は鸚鵡返し。そりゃそうだろう。誰だってリアクションに困る単語だ。怪訝そうに眉をひそめ無言にならないだけ、この反応はマシかも知れない。ちなみにそれをやったのは俺だ。
先生はうんと答える。うふ、と笑い声を伴って。
長いんだよな、これ始まると。俺はもう一度ため息を吐く。
完全に寝るのを諦めた俺は、しかし今更出ていって話に混ざるわけにもいかない。わざとらしく物音たててやろうかと少し考えたが、それでここを追い出されるのもなんだか不本意だ。結局大人しく静聴する以外道はなく(大袈裟な)、やれやれと天井を仰ぐ。
「これがいい顔してたのぅ」
「いいかお?」
「うん。全体的に綺麗な形なんだけどねぇ、前頭骨の形とか、もうホント、秀でてるっていうの? 格好よかったのぅ。眼孔部なんかねぇ、」
口調が段々速度を増す。相槌を入れる隙すら与えない、おっとりとして安心すると評判の養護教諭トップスピードの饒舌だ。いつか園芸部員は声もなく。多分圧倒されているんだろう。とてもよくわかる。共感さえする。
彼女は、その頭蓋骨がいかに素晴らしかったかを説明する。上顎骨がどうとか、下顎骨がどうとか、鼻骨の彎曲度がどんなに素敵だったかとか。
熱っぽいそれはしかし、多分常人には理解不能。少なくとも俺にはさっぱり解らないし、只今の犠牲者こと園芸部の女生徒も解っていないだろう。唖然としているであろう園芸部員の顔を想像して、俺は少し笑った。
やがて。
ひとしきり演説が途切れたところで、園芸部長の慌てたような合いの手が入った。
「で、それと先生の彼氏になんの関係が」
うふふ、と彼女の緩んだ笑い声。
楽しそうに、本当に楽しそうに彼女は続ける。
「骨にねえ、肉付けして、生前の顔を復元する、っていうの、知ってる? 復顔法っていうんだけどねえ。ちょっと機会があって、それをやってみたのね」
どんな機会だよ、と突っ込んでは行けない。うふふ、と笑われるだけなので。
園芸部員は賢明にも突っ込まなかった。突っ込むほど話が理解出来ていない可能性はあるが。真っ当だ。
「それで出来た顔にね、似てるの」
誰が。彼が。
――ぅえ。
なにかを挽き潰したような声がした。そして続く唸り声。うーんと、えーと、つまり?
「彼の頭蓋骨ってね、あの頭蓋骨と同じなの」
うふ。
「ああええと……、
――外見じゃなくて、中身が好き、ってこと?」
……その切り返しは、新しい。
思わず吹き出しそうになり、慌ててこらえる。寝ている俺が笑ってはいけない。しかし園芸部員、面白いな。是非とも友達になりたい人材だ。
「そうなのぅ」
それをなんの捻りもなく肯定する養護教諭。どうしよう、突っ込みたい。スリッパ持ってツッコミに行きたい。
園芸部員もその返答には戸惑ったのだろう。あはははは、と力無く笑い、そのまま咳き込んで咽せる。
「あらあら大丈夫」
「だいじょうぶじゃないけどだいじょうぶで、げほ」
ぽんぽん、と背中を叩く音。
しばらくして、あーなんか気管に入ったのーどーいーたーいー、などと呻き声が聞こえたりもしたものの、園芸部員は復活したようで先程の話が再開した。
「――素朴な疑問なんだけどさ、せんせ」
なあにぃ、とおっとりのんびりとした返答。
「その、ふ、ふく、ふ?」
「復顔法?」
「そうそれ。それって、どの程度の精度なの?」
「うん?」
「つまりさ、それで作った顔と似ている彼氏の頭の骨って、ホントにそのなんだえと同じなの?」
「ああ、それねぇ。うん、確かにねぇ、わたしがやったのって結局素人仕事だし、大した精度ではないのだけどねぇ」
「うん」
「まあ厳密には全く同じってあり得ないしそんなに期待はしなかったんだけどぉ、頭部レントゲン撮ったらホントに同じだったのぅ」
「いやちょっと待ってどうしてそんなもん撮ったのっていうか見れたの」
他人のレントゲンて簡単に撮れるもんなの見ちゃっていいもんなのどうなのそれねえ。混乱する園芸部員を。
「ラッキーよねぇ」
の言葉で片付ける先生。
「ラッキーって」
「運命かも」
「ですてにー」
あ、ちょっと脱力してきたな。呆れと疲れが入り交じった声音。面白い。本気でお近づきになりたいキャラクターだ。
あーもうどうでもいいやー、など、非常に投げやりな言葉が聞こえてくる。
「そんで、その、中身のよい彼氏は性格はどんな感じなんですかー」
非常にどうでもよさげに、園芸部員は続きを促す。段々気を取り直してきたのか、「年下ってことは、ちょっと甘えた? 包容力のあるお姉さんがすきー、みたいな?」とか調子に乗ってきたり。なかなか根性あるな。
んー、と彼女は少し考える。多分きっと、唇に手を当て、心持ち首を傾げている。いかにもの、作ったポーズ。
おっとりぼんやり平坦な抑揚で、彼女はいう。
「そうねえ、甘えんぼさんじゃないわよぅ、残念ながら」
「んん?」
「どっちかっていうとぉ、一見怖い感じ。無愛想だし、背が高いからぱっと見威圧感ある感じ」
「むー」
「でもねえ、優しいのぅ」
「よしきた」
その相槌はなんだ園芸部。
「彼ねぇ、わたしにこう約束してくれたの」
うふ、と彼女は笑って。
――もし、彼がわたしと別れることがあったら、頭蓋骨を、くれるって。
しばらく、静寂があった。
「……えっと、あっと、それ、え?」
やがて復活したのか、園芸部員は意味をなさない言葉を発する。途切れ途切れに。
「うふふ」
「あは?」
「うふ」
「あははははは?」
「うふふふふふ」
乾いた笑いがこだまする。なんというか、名状しがたい空気だ。
彼女たちの姿を遮るカーテンに微妙に感謝する。恐らく顔が引きつっているであろう女生徒と、にこやかな彼女。二人が笑い合う姿、怖いもの見たさに似た気持ちが沸き上がらんでもないが、やはり勘弁して欲しい。
しかし、そんな微妙な空気は、
「なーんちゃって」
明るく弾んだ彼女の声で、打ち破られた。
園芸部員が、軽く叫ぶ。
「うわ! こ、怖い。怖かったよせんせ。なんか鳥肌たった気がしたよ。なんでコイバナ聞いてるはずなのにホントにあったら怖い話になってるのかな。先生悪趣味だよ」
あわあわと養護教諭を非難する。
うふふ、と彼女はまた笑った。
そうだよな、悪趣味だ。激しく同意するぜ園芸部。
天井の模様を数えながら、ひっそり俺は同意する。彼女は悪趣味だ。とても。
冗談きついよホントにー、と力無く唸る園芸部員と。
ごめんごめん、と笑いながら謝罪する先生。
そこへ。
こんこん、とノックの音。からりと保健室の戸が開いて、「すいません、こっちに……」と、恐らく男子生徒であろうものの声が続いた。
「うぃ?」
間抜けな声をあげたのは園芸部員。
「あらあら、お迎え? いつもご苦労さま」
うふふ、と、先生は労いの声をかける。
「なに? どうしたの」
園芸部員が脳天気に訊ねている。
ふと思い至った。生け贄の羊だ。
「どうしたのじゃねえよ。転んでべそかいて保健室行ったって聞いたから来たんだよ」
羊は憮然とした様子で、園芸部に答えている。
「う、なぜそれを」
「心配して来てくれたのね」
怯む園芸部員と、おっとりとりなす先生。
「心配なんかしてないですよ。こいつが転ぶのなんてしょっちゅうだ」
「とかなんとかって、迎えに来たんでしょう?」
宥めるような、それでいてからかいの色も滲ませる、彼女の柔らかい声。
「なによう怪我人に酷いいいぐさ」
「うるせえよ。歩けんのか?」
園芸部員が拗ねたように文句をいうが、男子生徒はそっけない。それでも容態をちゃんと聞く辺り、やっぱり羊だ。
「歩けない、おぶってって」
「マジか」
「嘘だよ」
――暫しの間。
「先生このバカはもう大丈夫なようなので俺は先に帰りますそれでは失礼致しましたさようなら」
「わー一気にいった一息にいった嘘ですよ歩けるけどかなりしんどいですよ肩くらい貸して下さいおーねーがーいー」
割れ鍋に綴じ蓋、という言葉が、脳裏に浮かんだ。
大騒ぎしながら園芸部員とその忠実なる羊氏は退室し、保健室は再び静寂に包まれた。
ふあ、と大きく欠伸して、俺は起きあがる。
カーテンを開け休養コーナーを出ると、こっちを向いていた養護教諭と目が合った。
「起きたのぅ?」
「ええ、まあ」
「うるさかった? ごめんねぇ」
いえ、と曖昧に答えると、彼女はうふふと笑う。
それより、普通に引かれてましたね。園芸部員の笑いっぷりを思い出し、俺は苦笑する。
「ホントは、ホントなんだけどねえ」
先生は小さく首を傾げる。
そのまま俺の顔に手を伸ばし、頬骨の辺りを、そっと撫でた。
「骨」
小さく、呟く。
あまりに偏頭痛が酷くて希に部活にも支障をきたす、そんな悩みを持っていた二年前。保険医に相談したところ医者にかかることを奨められ、なぜか付き添われた。
そして一緒に頭部レントゲン写真を見たわけだが、それが俺と彼女の馴れ初めになる。
――理想の頭蓋骨なの。
なんて、どんな告白だよと今でも思う。客観的に見て。
けど、少し感動した。飾らない、誤魔化さない、正直なその告白に、感動した。
今思えば下心のなせるわざだったのだろう。入学直後から頭痛薬を貰いにしょっちゅう保健室を訪れる俺に彼女は優しく親しげで。だからその頃には既に、俺は彼女に好意を抱いていた。
それでまあ簡単に、まとまったわけだ。
結局頭部レントゲンに異常はなく、偏頭痛の原因は眼精疲労とストレスだろうと診断される。
ストレスが溜まる心当たりはなかったが、それはそういうものなのだろう。頭痛薬を貰う日々に変わりはなかったが、彼女と付き合うようになって頻度は減った気がする。
顔を触る彼女の手、それを掴んで、引き寄せる。
彼女は俺を見上げ、誰かに見られたらどうするの、と困ったように、けど嬉しそうに頬を染める。
俺に触る彼女はとても嬉しそうで、その顔を見ると俺は安心する。絶対的に欲されていることを確証する、それはなんて心地いいんだろう。
あのとき感じた感動を、たまに反芻する。どうして感動したんだろうと、考える。
顔は変わる。体型も、性格だって変わる。けど、頭蓋骨の形は、変わらない。だから、彼女が俺を好きだということも、変わらない。
不変。
そんな希なものを手に入れられることが、それが嬉しかったのだろうか。
未だによくは解らない。
取りあえず今俺は彼女が好きで、彼女に好かれていることを嬉しく思っている。
これが不変かは定かでないが、不変にしたいと願う。まあ、頭蓋骨をあげる約束をしてしまったことだし、長続きするようせいぜい頑張るか、と、そんなことを考えている。
彼女の耳に口を寄せる。
「今日、泊まりに行っていいですか」
「いいけど、試験勉強大丈夫ぅ?」
テスト期間なのよ、一応、と少しだけ心配そうに。一応は余計ですよと苦笑しつつ。
「余裕で」
「うわぁ、可愛くないなあ」
「それは、どうも」
「なんかちょっと悔しいのだけどぉ」
「先生は可愛いですよ」
「それはー……どうもぉ」
むー、と彼女は少し膨れる。
夜食のピザは奢りますよ、と軽口を叩くと、お夜食にそんな重いもの食べないもーん、と更に膨れた。
とても、可愛い。
そろそろ下校時刻の音楽が流れる。
壁に掛かった時計に目を走らせ、そろそろ帰ろうかと考えていると。
「夕ご飯、ラーメンでいぃ?」
比内地鳥のラーメンセット貰っちゃったのよねえ。六人前も。彼女はちょっと困り顔で俺を見上げる。
「保存効かないんですか」
「生麺だから、そんなにはねえ」
「それじゃあ、朝食もラーメンで?」
「嫌じゃなければ、是非にぃ」
「全然嫌じゃないですよ」
ラーメン普通に好きですから。そういうと、助かるぅ、と彼女は笑う。
「それじゃ、またあとで」
「うん、あとでねぇ」
ひらひらと手を振る彼女に軽く手を挙げ。
俺は保健室を後にし、置いたままの鞄を取りに、教室へ、向かった。
20070308
original top