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「お茶をどうぞ」
国を追われたシグルド達は、シレジア女王ラーナの好意でシレジアに招かれ、セイレーン城をその居城として貸し与えられていた。
グランベルから罪人の烙印を押された彼らを匿うということは、シレジア侵攻の絶好の口実をグランベルに与えることだ。
しかし、いまだ故郷にはそういった兆しは見えず、シグルドと共にシレジアへわたった人々は平穏な日々を味わっていた。かりそめであっても。
ところで。
ユングヴィ公女と発覚したばかりの元海賊首領・ブリギッドは、平穏な日々を余り満喫していなかった。
物心着いた頃から荒事の中に居た彼女にとって、騒々しいトラブルや諍いという名の訓練、そして実戦こそが日常であり平穏はただ退屈である。
平和なのはいい。誰も怪我をしたり死んだりしないのはとても結構なことだ。だいたい、血なまぐさい戦乱の日々を望んでいるわけではない。
ただ、退屈。
育ちのせいが多々あるのだろう。ブリギッドは「平穏な時間」を消費する術を、知らないのである。
思えば海へ出たとき、時化よりも何よりも「凪ぎ」が一番辛かった。無風状態になす術なく、ただ風が吹くのを待つ。あてどなく待つ。
あの時の焦燥感は二度と体験したくないことの一つだ。
現在自分がおかれている状況はあれによく似ているように思えた。
先行きの見えない、自分の力ではどうにも出来ない状況。フラストレーションがたまるのも無理もない。
そんな訳で、弓の訓練を一通り終え一汗流したブリギッドは、遊んでくれる人を求めて城内を彷徨っていた。
実は訓練の方もいつもより早く済み、いっそう時間を持て余している。
いつも、弓に加えて剣の訓練もしていた。
オーガヒルで海賊に追われていたときに助けてくれた騎士が、飛び道具の効かない近距離の者に対抗する手段を持たない彼女を危ぶみ、剣を習って見ませんかとの提案した。ブリギッドに断る理由はない。
だが、その剣の教師が、今朝はいくら待てども現れなかった。
――いい加減な奴。
ちょっとご機嫌斜めなまま結構城中歩き回ったのだが、こんな時に限って見知った顔に誰一人会わない。
思い返して気付く。訓練場の人口も、今日はいつもより少なかったし、いつもより早く切り上げる者が目立った。
――そうか、今日は休日だ。
はた、と気付いた。
みな城下にでも出かけているのだろう。
自分も出かけようか、それとも。
そんなことを考えながら城内をうろついていたブリギッドは、甘い香りに足を止めた。
食堂の前だ。
食事の準備、そういう香りではない。
だいたい今日は厨房の者は休みと聞いた(だから今朝の朝食は夕べ作りおいた物で、昼食と夕食は各々の裁量だった。今日は休日なのだから)。
けどこれは紛れもなく、焼き菓子の香り。
昔、豪奢なつくりの船に通行料を頂きに行ったとき。
それは貿易船の名を冠していたがただの遊興船だった。豪商が節税のためにこしらえた物だと養父が話してくれたのだ。
そこの――いままさに菓子が焼きあがらんとしていた厨房が、こんな感じの香りだったように記憶している。
あの時のあの菓子は遊興船に乗り合わせた子供のための物だった。
養父は通行料を円満に払う者にはそれ以上に何も要求しない方針だったので、当然それらに手をつけることもしない。ブリギッドはそんな父を尊敬していたので、自分のために主義を曲げてお菓子を子供達から取り上げてくれとはいえなかった。
――みな、あんな甘ったるい物は女子供が食べる物だっていってた。けど、わたしは当時女子供だったのだし、一つくらもらってくれてもいいのにと思ったもの。あの時……厨房にいた料理人に尋ねたっけ――この香りはなあに?
ふらふらと食堂にはいる。
無人だが、隣の厨房からは物音がしていた。
シャカシャカシャカ、となにかをかき混ぜる音と、そしてメロディ。
――つまりアレだな、誰かが鼻歌を歌いながら焼き菓子を作っているのだな。
そっと、厨房を覗いてみる。
台の上に調理器具。オーブンには火が入っている。
そして。
見覚えある深緑の髪の青年。
いつものターバンではなく三角巾で髪を抑え、腰に巻くロングタイプのエプロンを着け、ボウルと泡立て器を抱えている。
「………アレク?」
ブリギッドの声に、青年は顔を上げた。
紛れもなく、シグルド公子直属の部下の一人、シアルフィ公国聖騎士団グリューンリッターの騎士・アレクだった。
「え、ブリギッド公女?」
それ以上言葉が続かない。
しかし、抱えたボウルの中身をかき混ぜる手は止めない。
「なにをやってるんだ?」
「なにをといわれましても……」
アレクは苦笑する。悪戯を見つかった子供のように。
ブリギッドは手近な椅子を引き寄せ、背もたれを前にしてぺたんと座った。
そして、
「お菓子を作ってるんだろう。見てていいか?」
そういって、に、と笑った。
作業台の上の砂時計が全て落ちるのを確認し、アレクはオーブンの火を落とし蓋を開けた。
甘い香りが厨房中に広がる。
焼いた林檎の香り。
タルト型を火箸でゆっくり寄せ、木皿の上に移す。
ブリギッドが覗き込んだ。
「林檎のパイです」
アレクは説明する。
気温が低いシレジアはバターが溶けにくいため、パイが上手く作れそうだとかねてから思っていたところ、セイレーンの市場でいい林檎を見つけた。そこで、久々に腕を振るってみようかと思い厨房を借りたのだ、と。
台の上にパイを置き、またボウルに手を伸ばす。
「それは?」
「ホイップクリームを作っておこうかと」
「ホイップクリーム?」
「パイにかけて食べるんです」
シアルフィにいた頃、嫌がるノイッシュを無理矢理引きずって入ったカフェ。
出てきた林檎のパイはホイップクリームがけで、とても美味しかった。
それ以来林檎パイとホイップクリームは切り離せないものになる。
「ふーん……」
頷きながら、ブリギッドはパイに魅入っている。
表面は焼けて飴色。甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。
そんな様子のブリギッドに、アレクは苦笑して提案した。
「よろしかったら、試食しますか?」
「する!」
ブリギッドは満面の笑みで即答した。
冷めた方が美味しいんですけど、とアレクは付け加えるが、全く聞こえない様子だ。
ブリギッドはそわそわと立ち上がる。
「皿、出してくるよ。ナイフやフォークもいるのかい?」
子供のようにはしゃぐブリギッドに、ついアレクは吹き出した。
「なんだい?」
少し鼻白む。
バカにされたと思ったか、ブリギッドはふくれて椅子に座り直す。
アレクは笑いながら、
「せっかくですから、お茶でも入れますよ。公女はそこで――」厨房の一角の小さなテーブルを指し「座って待っててください」
まだ熱いパイを型から外し、八つに切る。
その一切れを皿に分け、考え込み――このままクリームをかけたら熱さで溶けてしまうだろう。せっかく上手く焼けたパイが水っぽくなるのは悲しい――小皿にホイップクリームを分けた。
お茶を二杯入れ、トレイにあげる。
「お待たせしました」
アレクはブリギッドの前でカフェの給仕よろしく一礼し、彼女の前に焼きたてのパイとお茶を並べた。
「おいしい! すごいじゃないか。
アレク、アンタにこんな才能があったなんて驚きだよ」
いわれるままにクリームを付け、パイを一口。
飲み込んだ後、ブリギッドはこう第一声をあげた。
「才能は大袈裟ですよ」
ストレートな賞賛に、照れたように謙遜し、「冷やすともっと美味しいんですよ」と付け加える。
「そうなのか?」
「はい。冷えたらまた、ご馳走しますよ」
「ああ。楽しみにしてる。
――わたしは海賊ん中で育っただろ? 廻りは荒くれ者ばかりでさ。アンタみたいな芸のある奴いなかったんだ。騎士ってな凄いね」
向かいに座り紅茶をすすっていたアレクは、ブリギッドの言葉にいきなりむせた。
「どうした?」
「いやあの……
こんなことするのは、騎士の中でも相当の変わり種ですよ。その」
「ん?」
もぎゅもぎゅ。
パイを頬張ったまま、ブリギッドはアレクに話を促した。
苦笑し、アレクは話を続ける。
「シアルフィ聖騎士団の団員というのは、所帯持ちでない限り宿舎住まいなんですね」
「うん」
「それで、俺も宿舎に住んでいたんですが、質実剛健を良しとするお国柄というか、味覚に無頓着な人間が宿舎の料理人やってても誰も文句をいわない環境だったんです」
「うん」
「けど、俺は文句をいわずにはいられない人間で」
「あはは」
「せめてたまの休みくらいは好きな物を食おうと食材買い込んで自分で調理してみたら、これが意外に面白くて。休みのたびに色々作っているうちに菓子類にも手を出すようになって、付いたあだ名が『騎士団のおやつ係』」
「おやつ係」
うっとり。響きを転がすように、ブリギッドはつぶやく。
「いいな、おやつ係。うん、すごくいい」
そんなブリギッドを、アレクは不思議な感情で見つめた。
ユングヴィの公女。
荒くれ者を束ねる海賊の娘。
そして今目の前にいる――カフェで新作のケーキに期待を膨らます少女たちのような。
「どうかした?」
「……え? いや、その」
ぼーっと見とれていたことを誤魔化すように、アレクは話題を探した。
そして、
「ノイッシュの奴がですね」
「うん」
ブリギッドは、アレクの親友の、生真面目な騎士を思い浮かべる。
「何をやらかしたのか、ティルテュ公女のご機嫌を損ねたんですよ。で、彼女はお菓子に目がないそうなんで――」
「じゃあこれは、ティルテュのためなの?」
「いやあの」
ブリギッドの疑問に、
「違います。ノイッシュのため、です」
なにを俺は慌てて、弁解めいたことをいってるんだ? アレクは自問し、
「えーとですね、あいつ、ティルテュ公女を怒らせてしまったようだけど、どうしたらいいだろう、なんて俺に相談してきたんですよ。で、まあ、いつもの可愛い我が儘だろうから、お菓子でも買ってきてご機嫌とれよ、と」
「……」
「そしたら、大の男が菓子なんか恥ずかしくて買いに行けない、とかふざけたこといい出して。仕方ないから親友のアレクさんが一肌脱いでやってるんです」
「そうか――けど、お菓子で機嫌が直るかな」
「いや、お菓子で直るような安い『機嫌』じゃないでしょ。これをきっかけにして、あとはノイッシュが自分でなんとかすると」
「ふうん……友達思いなんだ。見直したな」
「見直すって……公女、俺のことどんな風に思ってたんですか」
いってもいいの? そういって、ブリギッドは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ごちそうさま。すごく、おいしかった」
最後の一口を飲み込み、ブリギッドはフォークを皿に置いた。
皿とカップをトレイに乗せ、後かたづけをしようと腰を浮かすアレクの姿を目線で追い――ふと、何か思いついたようにぽんと手を打ち。
立ち上がったアレクの手を、引き戻すようにがしっと握った。
「公女?」
アレクは戸惑い、座り直す。
「あのね、アレク。わたしは毎朝、シアルフィの騎士に剣を教えてもらう約束をしてるんだ」
「はぁ……え?」
シアルフィの騎士? それって……
「けど、今日は約束をすっぽかされてしまった」
すねたように、ブリギッドがいう。
「……だって今日は休日ですよ?」
「休日は訓練も休み、なんていってなかったじゃないか」
「それは、」
……いうまでもないことだと思っていた、と反論しかけ、いい淀む。
そんな様子にくすくす笑い、
「待ちぼうけ喰らわされて、わたしはちょっと怒ってたんだけどな」
ブリギッドの態度は、言葉とは裏腹だ。
そして、彼女の言葉の意味を察し、アレクは苦笑した。
「わかりました――それじゃ、ご立腹の公女のご機嫌を取るために、腕によりをかけてお菓子を作ってさしあげましょう。
何かリクエストはありますか」
「ホイップクリームがけの、林檎のパイ」
満足げな、会心の笑みを見せるブリギッド。
モノで釣るではないが――この笑みを独占できるなら、全ての休みが菓子作りで終わってもいいな――そんな不埒なことを一瞬思い、アレクは軽く、首を振った。
えんど。
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