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「しろやぎさんからお手紙ついた」 (後)
親飛竜の上に子天馬
子天馬の上に孫馬
親飛竜転けたら みな転けた
ヨハンが薄桃色の便せんを片手にそう吟じてみせるのを、ヨハルヴァは形容し難い珍妙な表情で眺めていた。
二人で食事をとるには広すぎるドズル城の食堂。目の前には湯気立つ食後のお茶。後ろには給仕のものが、銀のお盆を手に控えている。
夕食を終えた後早々に席を立とうとしたヨハルヴァは、珍しいお茶が手に入ったのだが、との言葉に引き留められた。
まあ、たまには兄とのどかにお茶飲むのも悪くはないか。
夕食に膨れた腹が彼を油断させたのだろう。ヨハルヴァは椅子に座り直し、給仕のものが茶器を広げるのを待つ。
そして。
おもむろに懐から便せんを取り出した兄の姿にヨハルヴァが凍り付くのは、お茶を注いだ給仕が一礼して彼の後方に移動した直後である。
ほんの短い、詩のようなもの、を読み終えたヨハンは、いつものごとく感激していた。
ヨハルヴァはお茶を啜る。香ばしく、ほんの少し甘みがあった。――もう少し、苦味がある方が好みだな。そんなことを考える。
それから。深く深く、ため息をつき。
ヨハルヴァはいった。
「……そのココロは」
「うむ、よくぞ聞いてくれた」
ヨハンは無駄に嘆かない。弟が難解な詩への読解力に欠けていることはもう身に沁みているのだろう。激しく不本意だが、うっとおしい嘆きが省けたことには感謝を捧げたかった。なにか名状し難いものに。
「この意味はだな」
弟の微妙な態度に気付くことなく、ヨハンは続けた。
「我々の些細な遣り取りは伝令馬に支えられている。もしそれに天馬や飛竜を使えるのなら、もっと頻繁に遣り取りが出来るだろう。しかし、他者に助けられなければ成立しないか細い糸なのだから、高望みはせず現状の功労者に感謝しよう」
「……という、意味なのか?」
「うむ」
そうか。どこか諦めの入った気分で、ヨハルヴァは力無く頷く。アレをどう料理すればそんな意味を見出すことが出来るのか。理解できないどころかしたくない。
――そりゃ兄貴、妄想力も過ぎるってもんだろう。
最初にこんな珍解釈を聞かされたとき、ヨハルヴァは思ったものだ。
そして、あの詩のようなもの、の作者に伝言を書き、兄の手紙にそっと同封した。即ち、詩の解釈は、兄の説であっているのだろうか。
返ってきた答えは。
”仰る通りの意味あいです。ひょっとして、わかりづらかったのでしょうか”
「――ところでだな、ヨハルヴァ。珍しくセリス王の手紙も同封されていたのだが」
不意に真顔になって、ヨハンはいった。
「ユリアの降嫁する時期を早めたい、という内容だった」
「……は?」
ヨハンの言葉に、ヨハルヴァは固まる。
ユリアがバーハラに居残ったのは、亡くなった者達に祈りを捧げるため、そして、表立っていえることではないのだが、父と兄の喪に服すためである。いずれはドズルに降嫁するだろうとは思っていたが、しかしそれはまだまだ先の話のはずだ。
「我々の手紙の遣り取りに心打たれ、引き離してはおけないとユリアを説得したのだそうだよ」
ありがたいことだな。嬉しそうにそういうヨハン。
しかし、ヨハルヴァは感じた。胡散臭いと。セリスは恐らく、ヨハンよりヨハルヴァに近い感性の持ち主だ。少なくとも「詩」に対しては。だから。
こっちに押しつけやがったな、セリス。
低く唸る。
想像した。この兄とあの王妹が揃ったドズル公国を。常人の理解が遠く及ばない独自の感性で語り合う仲睦まじい公爵夫妻を。
ヨハルヴァは思った。
旅に出よう。
どこか、遠くへ。
**********
うららかな日差しが窓から差し込み、グランベル国王夫妻の私室を柔らかに照らす。長椅子に座るリーンの膝に頭を預け寝そべっていたセリスは、室内へ浸食する距離を時間と共に伸ばしていく光を避けるように、幽かに身じろぎをした。
「くすぐったいよ、セリスさま」
くすくすと忍び笑いを漏らすリーンの手が、セリスの髪を優しく撫でる。
平和な休日。至福の時だ。
ユリアがヨハンの元へ嫁いで早半月。
危機感に襲われ自ら先頭に立ってまとめ上げた婚姻だが、いざ妹がドズルへ旅立つ段になるとこみ上げるのは寂しさだ。
肉親の縁に薄いセリスの、たった一人の妹。
やっぱり、あと少しだけ、バーハラに。何度もそういいかけ、しかし首を横に振った。
婚姻を早めるよう話した当初こそ躊躇と困惑に染まっていたユリアだったが、式の日が近づくにつれそれは喜びの色に変わっていった。純白の衣裳を手に取り、リーンと共に微笑みあうその姿。打ち合わせのため頻繁に訪れる使者に一喜一憂し、ドズル公その人が現れたときなど花が綻ぶような笑顔を見せた。
だから、これが最良の道なのだ。
自分にそういい聞かせ。式前日、お世話になりました、幸せになります、と挨拶されなんとなく花嫁の父の気分で涙ぐんだりもし。
そうして送り出した。最愛の妹を。いろいろ複雑ではあるが、彼女を任せられる度量はあると見込んでいる男の元へ。
そして、残ったのは喪失感。
リーンの柔らかな膝に頬をすり寄せ、ぬくもりを堪能する。
「もう、甘えっこさんなんだから」
リーンの声が、心地よく耳朶をくすぐる。この喪失が埋まるまで、こうやって彼女に甘えていよう。
べったりリーンに身を預け、次第に微睡む。
ふと。
思い出したように、リーンがいった。
「そういえばヨハルヴァさんはどうしてるのかなあ」
ふあ、とあくびを噛み殺し、セリスはリーンの顔が見えるように首を巡らす。
「さあねえ。でもヨハルヴァだし、元気にしてるんじゃないかな」
全く根拠のない無責任な、しかし確信に満ちたいい種だった。
ヨハルヴァ出奔の知らせを聞いたのは、ユリアが嫁いだ三日後である。
セリスは思ったものだ。
やっぱりな。
と。
そして、こうも思った。
ヨハルヴァの行動は逃避だ。しかし、長く苦しかった戦いの中で、時には矜持を押しても退かなければならない局面があること、或いは退いてこそ得られる勝利もあるのだということを学んだわたしは。ヨハルヴァを、弱者と、卑怯者と、責めたりはしない。そう、彼の取った行動は戦略的撤退であり、最良の手段だったのだ。
詩人夫妻の攻撃を一身に受ける羽目になったドズル公弟への、それは同情であり理解であり、共感だった。
ぬくぬくとした休日を終え、翌日。
セリスは執務室で書類と格闘していた。
終戦のごたごたが完全に片付いたとはまだいえない現在、セリスはどんな些細な書状でも自ら目を通すことにしている。負担は大きいが、どんな小さなことも蔑ろには出来ない。あと少し体制が整い有能で信頼できる人材が育てば、セリスの負担は大分減るだろう。その日はしかし、いつになることやら。
そう遠いものではない、と信じよう。だから、もうちょっとの辛抱だよ、うん。
ひとりごち、一気に一山片づける。
そして、キリのいいところで筆を置き。ふう、と息を吐いた。
少し休憩にしよう。
立ち上がり、こきこきと首を回す。そこへ。
こんこん。
軽いノックの音と共に、右手に茶器一式の載るお盆を持ったリーンが、
「お茶にしませんか、セリスさま」
と、緑の髪をゆらし絶妙のタイミングで部屋に入ってきた。
リーンの白い手が、カップにお茶を注ぐ。
琥珀色のそれから立ち上る香りは、セリスの知らないものだった。
「ユリアが送ってくれたんです、このお茶」
不思議そうに首を傾げるセリスに、リーンが答える。
「ちょっと珍しいものらしいんですけど、甘みがあって、ユリアは気に入って愛飲してるんですって。それで、お裾分け」
お茶請けは、マフィンを焼いてみたんですよ。
厨房に出入りし料理人を恐縮させる気さくで型破りな王妃は、きつね色に焼けたそれをセリスの前に差し出す。
遠い空の下の妹の心遣い、そして妻手ずからの菓子を味わえる幸せ。じんわり暖かい気持ちに胸が満たされる。
と。
「――それで、ね」
突然。なぜか気遣わしい口調になって、リーンがいった。
「ユリアから、お手紙も来てるんです」
届けられたお茶と一緒に。
そういって、リーンはセリスから目を逸らす。
じわりと、不安が広がった。
なんだろう、このただならぬリーンの様子は。まさか、まさか、ユリアになにか、
「詩、付きで」
「――――はあ?」
リーンの言葉に、セリスは間の抜けた声をあげた。
いま、なにか不穏な単語が、聞こえなかったか。呪わしいあの言葉が、妻の口から零れなかっただろうか。
思わずリーンの顔を凝視するも、彼女はセリスから目を逸らしたままだ。
やがて。
重苦しい空気を払拭するように、リーンは懐に手を入れ、綺麗に畳まれた薄桃色の便せんを取り出した。そして、やおらそれを広げるや。
「では、読みます」
宣言し、明後日の方向を向いたまま、読み上げ始めた。
ヨハンのセリス王を讃える詩と、ユリアのセリス王を讃えているような気がしないこともない詩を。
セリスはのたうった。
「――えーと、おそまつさまでした?」
朗読を終え、なぜか疑問系で締めの言葉をいったリーンが恐る恐る夫に目を戻すと。長椅子に身を投げ出しクッションを頭に被った王の姿が、そこにはあった。
彼はなにやらぶつぶつ唱えている。
うーん、そこまでするかな。
肩を竦め、リーンはため息をついた。
”ぜひお兄さまに、朗読してさしあげて下さいね。”
手紙にその一文を認めたとき、リーンは少し悩んだのだ。――セリスさまはどうも詩が苦手のようなのだけど、でも。
結局ユリアの希望を叶えることにしたのは。「耐性」があったリーンには、セリスの苦痛を真には理解出来ていなかったからである。リーンは、セリスは詩の内容にあてられ過剰に照れている、位にしか思っていなかったのだ。
それが、この反応。読みが甘かったことを、ようやく悟る。
リーンは困った。
心底困った。
そして、クッションの下のセリスは。
――ヨハルヴァ、草の根わけても探し出し、バーハラで召し抱えてやるよ。一人で逃げ出すなんて、そんな幸せを許すものか。苦しみは分かちあうべきだ。それが男の友情ってやつだろ?
誰にともなく、そう、呪詛していた。
まさか、ユリアも詩を書いていたとは。しかもあんな不可思議なものだったとは。ヨハンの詩に加えてユリアのソレも聞かされる羽目になろうとは。大いに予想外である。その苦痛は相乗効果で倍どころではない。
ああいっそ殺してくれ。それとも、わたしも逃げようか。リーンならきっと、ついて来てくれるよ。遠く、誰も僕たちを知らない、そんな土地へ行くんだ。そして、二人で慎ましくとも暖かい家庭を築こう。
思考はやがて現実逃避に変わり、ふふふ、と弱々しい声が漏れる。
困惑から立ち直ったリーンが、セリスを起こし通常業務に戻すまでこの後たっぷり半日かかり。個人の負担が大きすぎる現在の体制は、些細なことでいとも簡単に行政が麻痺するということ広く城内に知らしめた。それで、有能な人材の登用に拍車が掛かったというのはまた別の話。
グラン暦七七九年、春。
セリスの苦労は、まだまだ始まったばかりである。
戻る。
えんど。
20030314
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