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「おそるべき子供達」


 春と呼ぶにはまだ風の冷たすぎる、けれど、日差しは確実に穏やかな、そんな頃合いの。ティルナノグに厳しくない冬などないが、それでも今年は比較的穏やかだった。その冬が明けた、そんなある日。
 黒髪の少女が、自分の身長ほどの大剣を引きずって歩いていた。
 午後の鍛錬を終え、夕ご飯までの空き時間をある目的で有意義に過ごすためである。
 少女――ラクチェには、かねてより一つの疑問があった。
 自分たちの保護者の一人である若き騎士、オイフェ。彼は、自分をラクチェと呼ぶ。ラナを、スカサハを、レスターを、デルムッドを、名前で呼ぶ。名前だけで呼ぶ。シャナン兄さんでさえ、シャナン、と呼び捨てだ。
 なのになぜ。
 セリスは、「セリス様」なのだろう。

 疑問を、疑問のままにしておいてはいけないよ。

 いつかオイフェ自身にそういわれた。
 オイフェは大人で、凄く頭がよくて物知りだ。オイフェのいうことはいつも正しく、オイフェのすることに間違いはない。
 だから、素直でいい子と自認するラクチェは、オイフェの言葉に従うことにした。
 わからなかったら考える。調べる。そして、人に聞く。



「え、どうしてセリスのことだけ、セリスさまってよぶのかって?」
 唐突なラクチェの質問に、ラナは小さく小首を傾げた。
 ラクチェが疑問究明の助力として白羽の矢を立てたのは、幼なじみのラナだった。
 ラナはラクチェより一つ年下の五歳だが、ラクチェよりはるかに物知りだ。僧侶の勉強をするために母エーディンの教授を受け、幼なじみの中ではレスターの次に早く字が読めるようになっている。ラクチェが三秒で眠った本も、ちゃんと最後まで読んでいた。
 しかし、そんなラナも、この疑問の回答は持ち併せていなかった。
「あらためてきかれると、たしかにふしぎね。わたしにもわからないわ」
 二人して、途方に暮れる。
「そうだ。レスターにいさまだったらわかるんじゃないかしら」
「そうか。レスターあたまいいもんね」
 二人は、レスターを探しに行くことにした。



 レスターは、セリス達と共有している広い方の子供部屋で――狭い方の子供部屋は、ラクチェとラナの共有だ――書き方の練習中だった。
 小さな黒板に白墨で、長い単語を見本に倣って繰り返し書いている。
 デルムッド、スカサハも、同様に黒板と格闘していた。尤もデルムッドの場合は、風景のスケッチに移行しつつある。窓から見える、彼らが乗馬の練習に付き合わせている小柄の馬が、拙い線で引き写されていた。
 みんなより一つ年上のセリスは、彼らを監督しながら分厚い本を読んでいた。ラナが窺うと、これを読み終えて感想を書くのが宿題、と小さく微笑む。その厚さと字の細かさをして、自分はセリスでなくてよかったとラクチェが心底安堵するのはまた別の話。
 ところで、そんなセリスは先程の疑問のある意味渦中の人物である。本人を前にして究明を計るのは、なんだか不味い気がする。
「レスター、ちょっといい?」
 ラクチェは、レスターを外に連れ出そうとした。
 すると、なにかを察してくれたのだろう。
「じゃあ、いい機会だから休憩にしようか。僕はおやつを貰いに行って来るよ」
 そう提案し、セリスが立ち上がる。おれもてつだいます、そう申し出たスカサハを伴って、彼らは子供部屋を出ていった。

「で、なんの話なんだ」
 セリスが出ていくのを見送った後、レスターはラクチェ達に向き直った。
「うん。あのね」
 ラクチェとラナは、交互に現状を説明する。
 全てを聞き終えた後。レスターは、はあ、とため息をついた。
 そんなことどうだっていいじゃないか、と、その表情は雄弁に語っていた。
 しかし、助け船は後方から現れた。腕組みした、デルムッド。
「たしかにふしぎだな。セリスだけとくべつ扱いしてるってことだろ?」
「でしょう? なんだかずるいよねえ」
 そうしてつい、ラクチェの本音が出る。
「ずるい?」
 あう、と。ラクチェは一瞬言葉に詰まった。それから、開き直ってまくし立てる。
「だって、セリスさま、って呼ぶのって、なんだか大事にしてます、ってかんじするじゃない。オイフェさまはわたしたちよりセリスのほうが大事ってことでしょ?」
 小さくたわいのない嫉妬であった。
「うーん。オイフェさまはたしかにセリスをとくべつ扱いしてる気がするけど、でもおれたちをないがしろにしてるわけじゃないだろ」
「オイフェさまはセリスがすきだからじゃない?」
 ラナがふと思いついて持論を述べてみた。
「じゃあおれたちのことはオイフェさま嫌いなのか」
「そうじゃなくって。オイフェさまはセリスがだいすきなのよ。いちばんすきなのよ。わたしたちは二ばんめなの」
「じゃあエーディン母さんは?」
「そういやオイフェさまって、エーディン母さんをエーディンさまって呼わね」
「……オイフェさま、かあさまのことすきなのかな」
「大人は好きだとけっこんするんだぞ」
「けっこん?」
「それじゃあオイフェさまはラナとレスターのお父さんになるの?」
「オイフェさまがとうさま?」
「おいおいおいなんでそうなるんだよ」
 レスターがツッコミを入れ、この説は保留になった。

「セリスがいちばん年上だからじゃないか?」
 次に自説を提示したのは、デルムッド。
「としうえだと、さまってよぶの?」
「うん、そうだよ。だからオイフェさまはエーディン母さんをエーディンさまって呼ぶんだよ」
 好きだから、よりは幽かに説得力がある。一同は一瞬納得したように頷き合ったが、
「でも、シャナン兄さんのことはシャナンって呼んでるよ」
 ラクチェの言葉に、綻びが生じた。
「うーん……あ、でも、シャナンさまはオイフェさまよりは年下だし」
「それをいったらセリスはシャナンさまよりずっと年下じゃないか」
「そうか。そうだねえ」
「シャナンさまはオイフェさまと友だちだから、例外なんだよ」
「ともだちはさまってよばないの?」
「たぶん」
 一同、うーんと唸り合る。矛盾が解明されないため、この説もお蔵入りであった。

「やっぱり、偉いから、じゃないかな」
 最後にいったのは、レスターだった。
「え、セリスって、偉いの」
「偉いんじゃないか。勉強とか剣のれんしゅうとか、そっせんしてまじめにやってるから偉いなあって、エーディン母さんがほめてただろ」
「その偉いじゃない」
「うん? 違う「偉い」があるのか?」
「まえにきいたんだけど。セリスのお父さんは偉い人だったんだから、息子のセリスも大人になったら偉い人になるんだよって、だから偉い人になれるように、小さいうちからがんばりなさいって、母さんがいってたんだよ」
「セリスのお父さんも勉強とか剣のれんしゅういっしょうけんめいやってたのね」
「だからその偉いじゃなくて」
「おうさまとかの、えらいひと?」
「そうそう。セリスの父上は、ええと、しあるふぃの公しゃくさまなんだよ」
「そうか。父さんが偉くて、セリスも偉くなるから、さまって呼ばれるのね」
「でもそれをいったら、おれの母上なんか王女さまだぞ」
「あれ?」
「おれたちの父さんは王子さまだな」
「そういやわたしの母さんも王女さまだよ」
「………」
「じゃあみんな、偉い、のかな」
「みんなえらいのね」
「じゃあみんな、さま、だな」
「そうだね」



 夕刻。
 夕餉の席に着いたオイフェとシャナンは、異様な状況に出くわしていた。
 困惑したように目を泳がせているセリスと、面白そうに微笑んでいるエーディン。
 そして。

「ラナさま、パン残すならわたしにちょうだい」
「うん、いいよ、ラクチェさま」
「あー、ずるいぞ、ラクチェさま。おれも狙ってたのに」
「がっつくなよ、デルムッドさま。おかわりすればいいだろ」
「あ、レスターさま。スープお代わりしに行くなら、わたしの分もー」
「スカサハさまもスープおかわりする?」
「おれはいいよ。それより、えと、ラナさま、ちゃんとパン食べないと大きくなれないぞ」

 一体なんの遊びだ、とシャナンは思った。
 唯一黙ったままのセリスに目を向ける。黙々とサラダをつつくセリスは、視線を感じてか顔を上げ、それからテーブルの食材に目を逸らした。挙動不審だ。
「セリスさま、どうしたの?」
 そんな様子に気付いたラナがセリスに声をかけると、セリスは目に見えて狼狽え。おずおずと返答する。
「い、いや、なんでもないよ、ラナ」
 途端。非難の声があがった。
「あー、セリスさま。ラナさま、でしょ」
「あ、ああ、そうだね。ゴメン、ラクチェ、さま」
「セリスさまわすれんぼさんね」
「ラナ、さまも、ごめんね」
 諦めたように、曖昧に笑うセリス。
 一体、なんなんだ。
 シャナンはもう一度そう一人ごちて、今度はオイフェに目をやる。困惑しきったオイフェが、なにかをいいたいような、なにをいっていいのかわからないような、そんな複雑な表情で口を出すタイミングを窺っていた。



 子供達の説明を全て聞き終えた後。
 シャナンは文字通り頭を抱えた。ずきずき痛むのは、気のせいではない。
 子供達の理論は時に愉快なものだが、それが過ぎると厄介なものなのだなとしみじみ思った。
 さて、どうしよう。
 オイフェが、なぜセリスだけを様付きで呼ぶのか。
 その理由は簡単だ。セリスはオイフェの主君の息子なのである。セリスと他の子供達の違いはただその一点であり、それが故にオイフェはセリスには必要以上に遜ることになっている。
 しかし、扱いそのものは。みな平等にしていた。誰も特別扱いすることなく、等しく接しているつもりだった。
 ところが呼称の違いをして、子供達は「特別扱い」であると断じたのだ。
 そうだ、これは糾弾だ。
 子供達は具体的な言葉は口にしなかったが、説明の裏に隠された感情をシャナンは読み取っていた。
 即ち、「セリスばっかり、ずるい」。
 ここに、真実ではあるのだが、セリスが主君の息子である、という理由を説明しても、焼け石に水どころか火に油を注ぐことになることをシャナンは理解していた。少なくとも、現在の子供達の理解力と、シャナンの語彙では。
 オイフェの語彙なら、異なる事態であったらいいくるめて場を納めることができただろう。しかし、現在のオイフェは糾弾される対象であり、彼の言葉は言い訳と受け取られ割り引かれる可能性が大きい。
 シャナンは困っていた。
 解答を待つ子供達の視線が痛い。未だかつて感じたことのない重圧だ。
 しかし、やがて。
 シャナンは、現状の馬鹿々々しさに気付いた。気付いてしまった。
 それでなにもかも面倒になって。

「オイフェがそう呼びたいからそう呼んでいるんだろう。あいつだっていろいろ大変なんだ、人の呼び方くらい好きにさせてやりなさい」

 そんな言葉を、発していた。
 全くなんの説明にもなっていない。しかし、シャナンのその言葉には妙な重みがあった。

 子供達は顔を見合わせ、それからこくりと頷いた。
「わかった、シャナン兄さん」
「おれたち、もう余計なせんさくはしないよ」
「オイフェさま、こまらせてしまってごめんなさい」
 子供達の殊勝ないいように、シャナンは微かに口元を綻ばせる。
 オイフェも、もういいんだよ、そういって笑った。

 早まった判断だった。



 翌朝。
 食堂は一種異様な雰囲気に包まれていた。
 最後に席に着いたオイフェとシャナンは、怪訝な表情を浮かべつつ、しかし具体的な言及も出来ず首を傾げる。
 セリスが、なんとなく泣きそうな目で、こちらを睨んでいた。
 シャナンは困惑する。なにかあったのだろうか。
 けど、エーディンが愉快そうに微笑んでいるので。子供達のたわいない揉め事だろう、そう考えた。
 甘かった。

「頂きます」
 そう唱和して、朝食に手を伸ばす。
 果実で香り付けした水を含んだとき、ラナがこういった。
「あ、セリスさま、またセロリよけてる」
 ぐ。吹き出しそうになるのを気力で止めたシャナンは、小さく咳き込んでラナを見る。
「い、いいだろ、少しくらい」
 憮然として、セリスが言葉を返していた。いつにない態度である。
「セリスさま、すききらいしてると背が伸びないよ」
 こちらは好き嫌い全くなしのラクチェが、セリスの皿にひょいと手を伸ばしセロリを掴み。
「こらラクチェ、ぎょうぎ悪いぞ。ごめんな、セリスさま」
 スカサハが、妹の所業を律儀にフォローする。
「じゃあセリスさま、おれのニンジンとこうかんしようぜ」
「なんだよデルムッド、まだニンジン食べられないのか。セリスさま、交換なんかすることないよ。デルのニンジンは、デルが食べなくちゃ」
 デルムッドの善意の申し出は、レスターのごもっともな意見で一蹴されていた。
「セリスさまのセロリは、もちろんセリスさまがたべるのよ」
 セリスは居たたまれない様子で、曖昧に笑っている。
 そして、ため息をひとつ。人生にでも疲れたかのような、深く重い、ため息だった。



「だって、オイフェさまはセリスをセリスさまって呼びたいんでしょ」
「わたしたちオイフェさまがだいすきだから」
「オイフェさまがそうお望みなら、おれたちもそうしようって」
「今日からセリスをセリスさまって呼ぼうって」
「みんなで相談して決めたんだ」
 食後、シャナンに問われた子供達は、口々にそう説明した。
 「ねー」、と顔見合わせ頷き合っている。
 子供達の大人を思っての行動は正直微笑ましいのだが、しかしどうして、こうも予想のつかない方向へ飛躍していくのか。

 オイフェに恨めしげな目線を向けているセリスと。

 引きつった笑みを浮かべることしかできないオイフェ。

 そしてそれを、遠巻きになるポジションに逃げ傍観に徹していたシャナンは。
 あいつらひょっとして、わかっててやってるんじゃないだろうか。そんな疑惑に辿り着こうとしていた。



 七六五年、春。
 ティルナノグは、平和だった。 

えんど。

20020907

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